自主シンポジウム 重 複 障 害 その3
   (日本教育心理学会第44回総会自主シンポジウム要旨 2002年10月13日:熊本大学)

  企画者 柴田保之(国学院大学)   司会者 松岡敏彦(山口重複障害教育研究所)
  話題提供者 保科靖宏(千葉県立盲学校)   鈴木弘子(横浜訓盲学院)
        村上恭子(熊本県立松橋東養護学校)
  指定討論者 柴田保之 進一鷹(熊本大学)


《企画の趣旨》           柴田保之(国学院大学) 

 本シンポジウムは、平成12年に逝去した故中島昭美財団法人重複障害教育研究所前理事長が、3年にわたって企画したものの第3回目である。その主旨は以下の通りである。
「昭和50年5月、重複障害教育研究所が東京都教育委員会より財団法人として認可され、障害の重い子供たちと共に人間行動の成り立ちの根源を深く感動をもって学ぶことを目的として設立されました。(…)その間、父母、教師、研究者、施設職員の実践研究が積み重ねられ、人間行動の成り立ちの根源を感動をもって子供たちから学んでおります。そこで、その成果を自主シンポジウムにより明らかにすると共に、実践研究はあくまでも事例研究であります。主題を『重複障害』として、長い間、私と苦労を共にしてきた人々と30年間の研究成果をご披露したいと考え、自主シンポジウムを企画しました。」(中島昭美)
 中島は、昭和27年から10余年にわたって山梨県立盲学校で行われた盲聾児の教育において画期的な成果をあげ、盲乳幼児、盲重複障害者の教育へと歩みを進めて行く中で、触覚の重要性や空間を構成する学習の意義と、それを支える教育の内容や方法を具体的な教材の工夫とともに明らかにした。そして、様々な障害のある子どもたちの教育においてもその根本は共通であることを示し、昭和52年に『人間行動の成りたち』(重複障害教育研究所研究紀要第1巻2号)として体系化して、全国の実践家や研究者に大きな影響を与え、各地で数多くの実践及び研究が繰り広げられてきた。そして、さらに寝たきりと言われるようなきわめて障害の重い子どもたちとの出会いを通して、より根源的な触覚としての全身の触覚の問題や姿勢やバランスの問題、空間の構成の根底にある面の問題などに着目し、人間行動の成り立ちの根源と人間存在の本質への問いを深めてきた。
 これまでの2回のシンポジウムでは、母親、教師、研究者の方々から様々な実践事例の話題提供をいただき、討論を行った。発表は、どれも地道な関わり合いの中で見えてきたその子どもの輝きや奥行きの深さを伝える重みのある報告だったが、その内容の一端を示すと、@寝たきりと言われる子どもについて、私たちの予想をはるかに越えて体の部分を様々に使いながら運動が組み立てられていることや身体を起こす働きかけの中で意図的にバランスがとられていること(谷守人氏)、Aある場所に物を入れることに取り組んでいる子どもについて、その運動に伴う触覚的実感の受容の細やかさやそれに伴う上半身の揺れと静止といった姿勢との深い関係や、そうした操作を通して構成される空間の問題(志賀幸子氏、遠藤司氏)、B棒差しなどによって複数の場所の位置づけ、方向づけ、順序づけに取り組んでいる子どもについて、口や手などをもとにしつつ空間に基準を構成していくその独創的なプロセス(野村耕司氏)、C文字や数などの記号操作に取り組んでいる子どもについて、記号操作の基礎にある空間的な枠組みの中の様々な基準の問題やそうした基準自体は、子ども自身が創造していくものであること(深山茜氏、井上礼治氏、間野明美氏)などが議論された。
 最終回にあたる本年は、三つの話題提供に基づきつつ、さらに今後の重複障害教育のあり方を見すえた議論を展開していきたい。なお、今回話題提供される事例のうち、最初の二人のお子さんについては、中島が晩年にその新たな理論的境地を切り開いていく上で深い関わり合いを持ったお子さんであり、私たちは、決して一つの到達点にとどまることをしなかった中島の歩みに学びながら、新たな重複障害教育を切り開いて行きたいと考えている。

《提案要旨》
20年間寝たきりの方の触覚を通した行動調整から、空間形成について学ぶ

         保科靖宏(千葉県立盲学校)
 昭和60年から、教員として障害をもつ方々と関わり始めるが、教育全般に何かの疑問を感じていた。昭和61年に中島昭美先生との出会いを通して、障害の重い子どもから人間の本質について学ぶことを初めて知り、納得した教育を目指せるようになった。その後いく人もの障害の重い方と出会い、関わりを通じ、技術や技法でない、多くのことを学び続ける日々を過ごせるようになってきた。
 なかでも平成元年に寝たきりで素晴らしい男性の方と出会う機会に恵まれた。筆者はこの方との出会いにより、僅かずつの機会であるが、彼から学び続けることで、以下のような考察をする機会を得られた。@彼との教材を用いた関わりから、触覚は、感覚を受容するだけでなく、その部位が自ら動くことで、物とのバランス・運動による実感等によって、教材の大きさや形等を理解するものになるのではないか。A彼は自発的に教材に関わる時には、必要に応じて小さな運動や大きな運動を目的に合わせ、その行動を一つ一つ区切り、行動を調整し、それを積み重ね、構成している。つまり彼なりの探索・操作の過程を経て、自らが納得する行動を築き、まとめているのではないかと考察するに至った。そのことが、彼の身の回りに生き生きとした触空間を形成することになる。それら触空間の形成過程と体を起こすという三次元の関わりについても述べていきたい。そして、この事に関わる姿勢やバランス、重力、その他のやりとりについても絡めて考えていきたい。
 筆者は彼の20年間かけて構築した、彼独自の文化としての素晴らしい行動調整の力があると考察する。まず彼の偉大な生き方に感動を持って語り、そこから見えてくる人間行動の成り立ちの根源について、彼の触空間の形成を通して、少しでも、語る機会になればと考える。

盲ろうの真央さんとの学習
          鈴木弘子(横浜訓盲学院)
 真央さんは小学部5年の女の子である。先天的に視覚と聴覚に障害をもった盲ろうのお子さんで、研究所には1歳のときに初めて訪れ、そこでの中島先生との出会いから初めて体を起こし座位を保持したという歴史をもっている。自発のかたまりである彼女は、自分なりの工夫で外界を触覚的に取り入れ、空間を組み立てていった。その時に仰向けの姿勢を基本としている彼女自身が考えたことは顔の上にものをのせることだったのである。そして顔にのせたもののバランスを考えながら触覚的な2次元の空間を組み立てていくという独創的な空間の構成を考え出した。
 この、顔で作り上げてきた空間の構成をここ1、2年の学習の中で前の水平面に応用しだし、現在点字の基礎につながる位置・方向・順序の学習に取り組んでいる。教材を通して向かい合う中で彼女自身の空間の組み立てのプロセスが明らかになり、彼女と筆者との考え方のやりとりが生じつつある。
 自分の納得できないことはやらない真央さんは、時にはそれによって苦労しながらも自分自身で生活の仕方を組み立ててきた。その真央さんとの暮らしの中で身ぶりサインを使ったコミュニケーションが活発に行われるようになり、筆者を含めた周りとのかかわり合いが変わってきている。その生き生きとしたやりとりを通して真央さんの生活の質そのものが高まっていることを実感させられているところである。
 今回の発表では真央さんの学習とコミュニケーションについて報告させていただく。

しんちゃんの“みること”“ふれること”
     村上恭子(熊本県立松橋東養護学校)
 しんちゃんは小学2年生の男の子である。少しふらつきはあるが手を挙げてバランスをとりながら歩く。歩きながら、友達や先生が遠くに歩いていくのを見えなくなるまでじっと見たり、窓ガラス越しに自分の手をかざして楽しむために何度も立ち止まる。また、ボールなどの転がるものが大好きで、よつばいのまま部屋の隅の見えなくなる場所まで転がし、遊んでいる。しかし、突然声をかけられたりふいにものをわたされたりすると、とても驚き怖がってその場を逃げ出してしまう。
 遠くと近く、また遠ざかって消えてしまうというように「みること」の変化を大切にしているしんちゃんは「ふれること」はちょっと苦手なようである。大好きな友達にも教師の手で代わりにふれてもらったり、がんばって手をのばしたものでも、パチパチと激しく瞬きをくりかえし、見ることが難しいようである。「みること」を大切にしているから「ふれること」が難しかったり、「ふれること」を大切にしているから「みること」が難しかったりするのだろうかと漠然と考えたりしている。
 そんなしんちゃんには、玉入れなどの課題学習を通して、また学校生活全般を通して「みること」「ふれること」「はなす(放す)こと」とその関係について教えてもらっている。ここでは、「みること」で目について、「ふれること」で手や足について注目してみたいと考えている。