昭和56年6月6日会報第6号
人生の醍醐味
今年から、茂樹君が後援会に入会してくれました。茂樹君は東大法学部在学中に目を悪くし、長い入院生活の後、健康は回復しましたが、視力はほとんど失いました。将来のことを相談しに彼が初めて研究所を訪れたとき、彼が私の小学校時代の同級生で親の家業を受け継いで、いまだに頑固に学生下宿を営んでいる北辰館に下宿していることを知りました。
茂樹君は残された僅かな視力を頼りに、司法試験に挑戦することになりました。真夏の暑い日も研究所に来て、拡大読書器を使って勉強したり、縄跳びをしたり、合宿中の子供とよく遊んでもくれました。1回目は短答式に合格しましたが、論文で落ちました。2回目で見事難関を突破し、今年の4月から第35期司法修習生として研修に励んでいます。どういうわけか、研修中なのに月給をもらえるとのことです。
先日、研究所に来て、私に、「先生、私は月給をもらえるようになりました。月給をもらえるようになって何より嬉しいのはこの研究所の会員になれることです。」と、ニコニコ笑って言いました。私はとっさに嬉しい、ありがたいと思った反面、少しくとまどいました。本研究所は障害児(者)を指導するのでなく、その子たちに教えていただくのだ、したがって、通所、合宿、訪問指導を通して、指導料をいただくどころでなく、かえって研究所から月謝をお払いしなければならないのだ、という基本方針を開所以来貫いております。茂樹君に会員になっていただくことは、その意味でちょっと気がひけるのですが、彼の暖い志を素直に受けることにしました。彼はきっと、目先でなく、長い目で見て、障害者のために役に立つ司法官となることでしょう。思えば研究所はこのような皆様方の暖い人情に囲まれて育っているのです。本郷3丁目の近江屋さんも私の同級生で、親の代から長い間つくだ煮を煮ていましたが、とうとう近代的な高いビルに建て替えてしまいました。夏目漱石ではありませんが、西片町も琴の音が聞こえてくるという風情が薄れ、いつのまにか家並みも変わり果てました。それとともに、明治以来の本郷界わいの人情もすたれてきていますが、本研究所は子供たちとともに昔ながらの人情を守っていきたいと思います。そのために、いつまでも暖かい研究所であることを念願しています。
私たちにとって、何よりも嬉しいことは、子供たちがほんの少しずつでも確実に成長していることです。土曜日の午後、通所しているひろみ君は最近ものをかむことが上手になりました。(このことは研究報告書第5号に神尾さんが6年間にわたる成長の記録を実に丹念にまとめているのでご参照下さい。)勉強が終わって、先生があとかたづけをしているとき、ひろみ君は事務室のいすに座って、時折おせんべいを食べます。
私はポリッ、ポリッ、ポリッというかむ音をきくと、思わず涙ぐみます。とても嬉しいのです。出会いの当初、とてもものをかめるようになるとは思いませんでした。立って歩くこと、移動によって室内、戸外の空間が広がること、触ること、見ることを通して刺激の受け止め方が上手になること、日常生活の基本的習慣や身振りサインを主とする交信がしだいに確立すること、とともに、出会い以来5年以上の歳月を経て、かむことができるようになったのです。
そして、単にかんだり飲み込んだりするのでなく、その獲得した動作を使ってポリッ、ポリッ、ポリッと、おいしそうに味わいながらおせんべいを食べるのです。食べることを通して、自分自身の人生を深め、広げ、味わっているのです。基本的な初歩的な動作でも、その人自身が理解して、納得して、獲得していくことが大切です。単なる機械的な訓練によって、繰り返し強制的につくり出された動作は、その人の自由な人間行動の基礎とは決してなりません。そんな見せかけのものをいくら沢山つくってもむだなことです。決して子供のためになりません。どんなにゆっくりしていても、確実にその子に本当に役立つもの、その子が自身の人生をかみしめ、味わえるもととなるものをつくっていかなければなりません。私たちが自分自身の人生をさらに深め、豊かにすることによって、子供の本来の輝きと出会い、その輝きをもとに学習を進めることが、今後の研究所の永久にして普遍の課題でしょう。