昭和57年6月15日会報第7号

                 新しい物差し

 先日、ある病院で自閉症児と診断された子供の母親が、教育相談のために本研究所を訪れた。その子は玄関のホールにある訓練用の階段ののぼりおりをしていたが、しばらくして、上の踊り場からポンと下に跳びおりた。高さを目で測り、何回かの確かめのあと下した決断とその実行である。
 私は思わず感心してホウとつぶやいた。お母さんに、「この子の何が問題なのですか。」ときいたら、母親は即座に二つのことを答えた。その一つは言葉を言わない。二つめは他の子と遊ばないということである。確かに、二つとも人にとって大事な行動ではあるが、今すぐ解決できるほど簡単なことではない。あせらないで、その基礎となるいくつかの問題点を一つ一つ地道にときほぐしていくことが唯一の最適の方法である。
 言葉を言わないだけであって、母親の言うことは相当わかるし、自分でも身振りなどであるていどまで意志を表現している。集団に参加することはできないとしても、あるていど遊ぶことは可能である。とりあえずはそれで十分ではないだろうか。
 今、この子にとって一番大切なことは、人と人との本当の出会いであり、心の底からの笑いである。そのために、まず、母を含めて、私たち自身が自分の迷いから覚めることである。その子がニッコリ笑って、身をのり出して近づいてくるような働きかけを工夫することである。
 「お母さんの考えている二つの問題はどちらもすぐには解決できません。」「ところで、この子とのかかわり合いにおいて、思わず感心したり、びっくりしたというような、この子のもっているすばらしい点はなんですか。」ときいたら、母親はしばらく考えて、「何もありません。」とポツリと答えた。ただし、「普通の子と比べたら」と小さな声でつけ加えた。自分の子を他の子と比べるなと言っても、土台無理な話である。いわんや、あせることが一番いけないと思いながらも、親としてはつい問題点にばかり目がいって、イライラしがちである。
 しかし、どんな子供でも、マイナスの面ばかりが巨大化して、固着してしまうことがないように、私たちは子供と出会い、限りなく近づき合い、そして、目覚め、新しい工夫の上で、自信をもって実践を深め、積み重ねていかなければならない。
 「普通の子」という子供が、決して現実に存在するわけではないのだが、他の子供と比べているうちに、いつの間にか表面的な見かけの物差しが一つでき上がり、それが絶対化してしまう。そうなると、その物差しがいつも正しくて、自分の子供がよけい駄目に見えてくる。
 その物差しをポキリと音をたてて折ること。そして、もっと、作りにくいがその子供に合った人間存在の本質を測る物差しを作ることである。この本物の物差し作りが、我が国の将来のためにも重要なことではなかろうか。
 現在、我が国は経済大国と言われている。そのわりに精神的な内容に乏しいことも事実である。1本のあまりにも単純なくだらない物差しがのさばりすぎているのではなかろうか。
 本研究所は、実践研究を通して、本当に自由な物差しをしだいに開発しつつあるのではなかろうか。もしそうだとすると、現在、老齢化社会を迎えようとしている我が国にとって、人生の深さを探り、その奥底にある光を見出すために、研究所の存在の意義は、まことに大きい。と、そんな思いがする昨今である。