昭和59年6月25日会報第9号

                        まるい人生一直線     


 「中島昭美が死んだら重複研はおしまいだ」と身近な人から言い聞かされ、ギクリとした。確かに私が死んだら研究所はあやうい。しかし、まだ自分では当分死なないと思っている。いつまでも生きているわけにはいかないのだから、私が死んでも、研究所がその使命を永遠に立派に果たすように今から心がけておかなければなるまい。
 そのために一番大切なことは、できるだけ経費がかからないようにすることであり、いつも事業を縮小することが基本である。そして、縮小し、圧縮することによって質を高め、より初心にかえるのでなければ、その意味がない。 本年度から、日本自転車振興会や東京都の補助金を辞退し、後援会を解散し、今までの財源の大部分を自ら断ち切ってしまったのも、規模を縮小し、それだけ内容を濃くしたいと思うからである。ここに、ほぼ10年間に渡ってご援助いただいた後援会の皆様、さらに、毎年ほとんど要望通りの補助金を交付して下さった日本自転車振興会及び競輪ファンの皆様、また、通所訓練に対して補助して下さった東京都及び文京区に対し、厚く御礼申し上げます。
 もちろん本研究所は事業を打ち切ったわけではなく、単に縮小したのだから、これからは、ささやかな自己資金によって、今までの事業を引き継いでいく覚悟である。
 そこで、本研究所が今最もしなければならない事業は何か、本研究所の重要な使命は何か、何を期待されているか、ということを考えると、おのずから答えが出る。
 それは、本研究所は今後障害の極めて重い子供たちとの教育的なかかわり合いのなかで、人間行動の原点を学ぶことである。もちろん、できるだけたくさんの多様な障害の方々とかかわり合いをもつことは大切なことであり、その一つ一つの意味は、かけがえのないほど大きい。しかし、本研究所でしかできないこと、私たちが今かかわり合い、考え、学ばなければならないことは、人間行動の成りたちの原点とその受容の変化の過程、さらには自発的、意図的行動の芽生えを明確にすることである。障害の極めて重い子供たちは、在宅して訪問教育を受けているか、あるいは重症心身障害者の施設に収容されているかであり、教育的かかわり合いの極めて乏しい状況におかれている。
 本当に熱心に、きめ細かく、よく考えて、教育的に働きかけている教師、指導員、研究者はまだほとんどいないし、教育的な実践事例もない。そのために、私たち人類は大損をしているのである。人間行動の成りたちの本当の原点が全くわからないし、その変化の過程が表面的にしかとらえられていない。その原点の意味、将来への役割が真剣に考えられていないので、私たちの立っている基盤がいつもばく然と不明確で、ありきたりのものになっている。生理学的な反射をいくら積み重ねても及ばないもの、強制的直接的に、いくら他者が繰り返し訓練しても、決してでき上がらないもの、そして禁止によって止めることのできないもの、そこに、人間行動の原点があり、その原点において、徹底した固着や、とめどないから回りや、停滞がおきているとき、私たちはあまりに力の及ばないことを痛感せざるをえない。何もわからない、何も知らない者が、なんで教えることができよう。
 本研究所は、極めて障害の重い子供たちに教えることはできないけれど、その子供たちから少しずつ学び始めている。
 人間理解にとって、とても大切な根本的なことが少しずつわかりかけている。この仕事が研究所の核心である。そこで、この際思い切って、本研究所は障害の極めて重い子供たちだけとかかわり合いをもとうと決定したことは、やむにやまれざるものであり、本研究所がやっとたどりついた出発点なのである。
 今後は、後援会の皆様、競輪ファン、さらに行政諸官庁の精神的なご支援をお願いしてやまない。