平成2年2月10日岩魂第3号

年に迫られて

 新年あけましておめでとうございます。
今年の年賀状に、3月31日をもって東京水産大学を退官することになりましたと書いたので、ある母親から、淋しい年賀状を頂いたと言われ、ギクッといたしました。停年が、そんな淋しいものだとも思わず、何かホッとしたような、嬉しい気持ちで書いたのですけれど、受け取られ方はさまざまです。
 お正月に、二人の方の死に出合いました。
 松の内も明けない1月3日に、毎月第4土曜日に通所されている鴨下泰大くんのお父さんがお亡くなりになりました。まだ44歳という若さで、大変健康で、大のお祭り好きな方だったのですが、心臓をおおう膜が堅くなるという病気で、2回にわたる心臓の手術のかいもなく、幽明境を異にされました。家族のことを考えると、お父さんは死んでも死にきれなかったのではないかと思われ、痛恨の極みです。
 そして、1月6日、私と前後して、第1回目の心筋梗塞を起こされ、私同様、運よく助かって、この3月、停年を迎えられるはずだった食品物理化学講座の先生が、2度目の心筋梗塞で急死されました。私は、7日の朝刊でその事を知り、青ざめて息が詰まりました。まさに、まさかという感じです。昨年12月30日に水産大学で、元気そうな後ろ姿をお見かけしたのが最後となりました。
 確かに、停年というのは、ある程度歳をとったということで、それだけ死に近づいたことになるので、淋しく思われても仕方がないことです。人は必ず死にます。その死に、だんだん近づいていく実感を感じるか感じないか、人によって違うのですが、周囲から感じさせられるように仕向けられているのかもしれません。したがって、停年に迫られてというよりは、ひたひたと忍び寄る死に迫られてという題のほうが、ふさわしいような気もしますが、要は、死ぬのが恐いか、恐くないかということだと思います。これがまた困ったもので、恐くなりだすと、とめどもなく恐いし、一瞬のこととは言え、恐くないと思うと、全く恐くありません。
 私は、62年12月16日に、東京女子医大で心臓の冠状動脈のバイパス手術を受けましたが、今、心臓の手術は簡単で、昔の盲腸ぐらいだと言われていますけれど、それでも手術時間は10時間を越えており、ある時間、心臓も呼吸も自律ではなく、器具によって代行されるので、手術後、もとに戻るかどうか心配しだしたらきりもないことです。ところが、この臆病な私が、手術の2,3日前から急に気持ちが落ち着いて、別に何の不安もありませんでした。それなのに、この正月、二人の方の死に出合い、いまさらながら、慌てて死の恐ろしさを実感しています。
 死ぬのが恐いか恐くないか決められないのが、今の私自身の心境です。と書いたら、誰かさんが“エ一ッ、死ぬのが恐いんじゃないの”とつぶやいていました。 

ひそかにも 死をばやすしと 思ふこと
         しばしばあれど 言ふべきならず
                 「昭和39年の歌集(去年の雪-癌疾-)」

と、歌人、窪田空穂は88歳のときに詠んでおります。
 般若心経には、不生不滅とあり、不死とは書いておりません。やはり私もこの際、不生とは何かということをもう一度考え直すよい機会ではないかと思っています。
 年賀状には、初心に返り、研究所設立の趣旨に基づいて、今後も、障害の重い子供たちから、人間行動の成りたちの深さについて、理論や技法を越えて、より緻密に、より正確に、学び続けたいと考えております。と書きましたが、この後段が、私の年頭の真意です。今後、私が、私自身の誤った考えをどのくらい打ち破って、新しい考えを展開できるかが、私の人生の不生の鍵であり、そのために、障害の重い子供から、もっと不滅について学ぶことができるかどうかが一番心配なところです。停年を淋しいことと感じたり、死に対する不安を抱いたりするのは、この次の事としたいと思います。と書いたら、また誰かさんが“ヘェーッ、そんなことできるかしら”と、大きな声を出して笑いました。
 まず、停年にまつわる第一の実感は、どこの大学からも誘いを受けなかったということです。誰かさんに“あなたが停年になったら、他の大学から来てくれと言われて大変でしょう”と言われておりましたが、今日の情報化時代においては、情報が正しく流れているのでしょう。全く反応がありませんでした。
 次の実感は、退職金のことです。私は、昭和25年、東大卒業後、すぐ助手となり、教養学部、文学部と、11年間助手として勤務いたしましたが、昭和36年、退職し、1年半、研究生をした後、とうとう東京大学文学部を追い出され、昭和37年10月に、東京水産大学に赴任して、現在にいたっています。そのため、36年に助手を退職したとき、退職金をもらったので、今度の退職金は、37年10月からのもので、庶務課の職員係の人が、“先生、惜しいことをしましたね。もしその時、退職金をもらわないで続けて水大に就職していれば、1本は違います。”と、残念そうに言われました。多分、1本10円の鉛筆を5本買うといくらでしょうという算術の通り、10円違ったのだと思いますので、残念でも何でもありません。むしろ、“少なくてありがたい限りです。”と言ったので、相手の方は不思議そうな顔をしていました。しかし、ここで、いまさら言うまでもありませんが、私たちの退職金といえども国民の税金なのです。もちろん、その方が、国家公務員として国のために一生懸命働かれた慰労のお金ですから、国民の皆様から退職金をもらうことは当然かもしれませんが、税金は軽くホイホイと払える人(法人)もいる一方、血税という言葉が定着しているように、正直に自分の所得を申告する人にとっては、大変重いものなのです。税金を払えるだけの資産や所得があるのだからいいじゃないか、と言われるかもしれませんが、正直にきちんと払っている方には、今回の不公平税制の中で、なおかつ節税に努められている方々とは違う税金に対する思いがあると思うのです。国から、退職金はおろか給料をもらうこと、さらには、今後年金をもらうことが、私にとって、誠に心苦しく思われます。したがって、とりあえず、今度頂く退職金は、税金分を差し引いて、全額、財団法人重複障害教育研究所に寄付します。自分のお金を自分の設立した財団に寄付しても仕方がないじゃないか、と思われるかもしれませんが、自分の監視のもとで、最も有効に使えるのではないかと思われますので、お役に立つと思います。その退職金すら、勧誘する信託銀行の人が尋ねて来たり、急に、去年文部省を定年退職し、再就職した見知らぬ人から手紙を頂いたり、結構大変です。これも、情報化時代の正しい情報の流れの果てと言えます。全く我が国は、ものすごい経済力情報社会を形成し、巨大な安定した社会機構のもとで、世界中を圧倒しています。去年から、ある施設に勤めた職員が、コンピューターを買いました。今のところ、テレビゲームに熱中しているそうですが、やがては、たくさんの情報がインプットされ、整理されて、いつでも呼び出すことができるようになるでしょう。私の経歴や資産や所得や消費の状況なども、未公開ながら、明らかに整理され、いつのまにか公開されていると言えます。
 ただ残念なことは、精神的な深みのある情報が全く無いことです。
 そういう情報は、整理しようとしてもしきれるものではありませんし、また、整理しても、日本の経済の発展のためには何の役にも立ちません。また、ある目的をもって整理すれば、チャウシェスク体制が組織したような秘密警察の極秘情報となって、国民を震え上がらせる力を発揮させる、<だらないものになってしまいます。私は、コンピューターを壊そう、いくら呼び出しても決まりきった同じ答えしか返ってこない、表面的、機械的情報を過信するな、もっと世の中を不便にしよう、などと言っているのではありません。ただ、本当に正確ということは何か、より緻密であるということはどういうことか、さらに言えば、深く考えて、新しい組み立てを自発することが人間の本当の喜びであり、その感動無くしては、いかなるコンピューターも意味が無いということです。そして、精神的ということは、その人の感じ方、わかり方、意図的運動の組み立てと自発の仕方、日常生活の暮らし方、言葉や道具の使い方、人との接し方、人生の考え方が、いつも新しく、みずみずしいということです。たとえ、そのために、予測が間違って死んでしまったとしても、人は必ず死ぬのですから仕方がないことでしょう。そのみずみずしさは、決して消えません。
 “不生不滅”年頭にあたり、80年代の日本の国際社会における役割はとか、政治経済はとか考えるよりも、もっと、深く、広く、大きな、人類の未来の予測が大切だということを、障害の重い子供に学びながら、今年もまた、言い続けたいと思っております。