平成2年4月29岩魂第4号

                ヤセガマンして貫く

 4月1日はエープリルフールである。それとともに、私の誕生日でもある。とうとうとって43歳を迎えた。本当は、昭和2年3月31日に生まれたのに4月1日生まれと1日遅れで届け出たとのことである。このことは、おやじの1日違いの勘違いらしいのだが、私の運命を決する決定的なこととなった。その話をすると、またまた長くなるので、「またまた……」と誰かさんに言われるので、やめておくが、いずれにしても、たった1日の勘違いが、私をエープリルフール人間としてしまったのである。
 学校へ入学したとたんに自律神経失調症となり、臆病で、何かちょっとでも起ころうものなら、すぐ逃げ出そうとする気の小ささを助長し、小学校をずる休みするようになった。旧制の東京帝国大学に、何も勉強せずに入学できたのも、私たちの学年だけが無試験だったからである。戦争が激しくなり、高等学校が2回短縮され、なおかつ大学の入試が中止となって、前年のそれぞれの高等学校の実績により入学できたのである。今、一生懸命勉強をして、なかなか志望する大学に入れない受験生諸君が聞いたら、夢のような話で信じられないと思うが、本当の話である。しかし、合格の発表は、文学部のアーケードの中にある掲示板を見に行ったような気がする。そのために、大学の先生なのに、全然語学ができないと驚かれたり、心理学科を卒業したのに心理学を何も知らない、というより、心理学と聞いただけで、気持ちが悪くなって悪寒がくるのに、大学で、今日まで心理学や教育心理学の講義をしてきたのだから、恥ずかしいなどというのは通り越して、無試験入学の後遺症はまさにめちゃくちゃである。東京帝国大学に入学し、東京大学を卒業した人も、もう珍しくなったが、ともかく5年かかってやっと卒業した。どういうわけか、東大助手となり、昭和26年、母方の中島の跡を継いでから、金の成る木を持ち続けているような錯覚に陥らされて、今回の停年退職に当たっても、退職金や年金に関して、担当の事務官から、「まあ、先生は興味がないでしょうけれど。………」という前置きから話が始められるような、なんとなく気分はいつもお金持ちというヤセガマンをする始末となってしまった。ただ、私がヤセガマンでなく、なんだか自分が金の成る木を持っている錯覚に陥る瞬間は、ギャンブル、とくに競輪で取った時だけであり、その瞬間は確かに夢を見ることはできる。なんだかまわりの人がなぜ取れないのか馬鹿みたいに見えてくる。静岡競輪の新人レースで……。しかし、やがて現実なるものに立ち返らされてしまうのである。あとは、またヤセガマンをしながら、次に夢見る機会を待つほかない。後楽園競輪の廃止は夢を追う私にとって、いかに諦め切れないことだったかは他人様にはわからない。しかし、これらのことについて書き出したらきりがないし、一度小説に書いたことがある。もっとも、この本は3冊きりしか作らなかったので、読んだ人が極端に少ない。しかし、中島堂という自分で作ったお堂の中に、自己刺激的に自己受容して納めてしまった。そこで、この話もやめておく。ともかく、たった1日の思い違いが、その人の運命を大きく左右することはよくあることである。そして、どんなに平凡な人でも、虚像と実像はかけ離れており、どれが本当のその人かはわからない。そして、どんな人でもそれぞれに意見を持っている以上、常識はずれなのである。
 なぜ私は東大を追い出されたのか。結婚式に故相良守次教授が「中島君はスケールが大きすぎて心理学科になじまなかった」と、お褒めの言葉を頂いた。スケールが大きいのではなく、大きすぎたのである。つまり、常識が無かったのである。しかし、一般的に世の中に通用することが、果して常識的なのだろうか。例えば、日本橋に本店を持つ有名なM百貨店の入社式が後楽園のドームで行われ、白のトレーナーで入場し、入社宣誓をした後、運動会をするなどということが常識的なことだろうか。日米構造協議とかいうものの中間報告が妥結して、首相が、今更、どんな人でも立場を変えれば消費者だと言っても、国民が驚かないのは、すでに非常識に慣れっこになってしまっているからだろう。ここで、誰かさんが「眠たくなってきた。もう駄目だ。」と言って、ご機嫌が悪くなってきたのにも慣れてきた。そして、一言だけ。今後はできるだけ無駄なことをするのはよそう。そして、他人が無駄だと思うことだけしよう。
 前号に引き続き、また人の死を悼む話である。
 3月10日、留守番電話に慌ただしいお父さんの声で「敦が死にました。電話を下さい。」と入っていた。それを聞いて、誰かさんが折り返し電話をしたところ、敦ちゃんが、線路を歩いていて、電車にはねられて死んだとのことである。駆けつけたところ、ある学園の寮を飛び出して、翌日明け方事故が起こった。敦ちゃんが小学校に入る前から深いつき合いをしていた私にとっては、線路の上を歩いていたのはわかるが、敦ちゃんが電車にはね飛ばされるというのは理解できない。しかし、何も言うまい、ただご冥福を祈るばかりである。
 昭和63年の暮れ、突然、モザイクタイルのサンタクロースを贈ってきて下さった。敦ちゃんらしい迫力のある素晴らしい作品だった。私は、すぐ玄関の棚の上に飾ったところをポラロイドカメラで1枚撮った。その写真を誰かさんがお礼状とともに送ったのは知らなかった。その後、ご両親と敦ちゃんから手紙を頂いた。
 「前略 先生に敦のモザイクタイルを喜んでいただいて、親として大変嬉しいです。敦がここまでこられたのは、中島先生と知子先生の暖かいご指導があったお陰です。あの頃、私たちにとっては、非常に苦しい(女房は私より数倍)時でした。女房と時々あの頃のことを話します。重複研の玄関に入ると暖い雰囲気があって、気持ちがスーツと楽になったね。私たちがどんなに気分の冴えないときでも、重複研で敦と先生方のやりとりを見ているだけで気持ちが楽になり、中島先生や知子先生に胸のうちを話さなくても、ただサヨナラだけの挨拶をして帰ったことが何回もありました。どんなにか私たちの心の支えになったかわかりません。人に対する思いやりというのはカッコイイ言葉なんかいらないのですね。重複研で教えて頂きました。心より感謝しております。これからも家族皆で敦を助けて、苦を楽に変え、女房とケンカしながら楽しく生きていきます。…」という手紙を頂いた。
 去年の暮れにも「…敦からの手応えは正確な言葉や行動では返ってきませんが、確かなものが少しずつ出てきました。………
 24日の休日、ケーブルカーに乗りたいというので、朝早く出発して、高尾山に行ってきました。みぞれが少し降って寒く、また、早朝のせいか人気もまばらでした。歩くことによって体がポカポカと暖まり、頭は山の冷気でスッキリして気持ち良いのか、ニコニコして嬉しそうに歩いていました。来年も自然体で、楽しみながら敦と付き合っていくつもりです。…」(お父さんの手紙の一部をお許しも受けず掲載した。)
 高等部に入り、次々にモザイクタイルの傑作を発表していた矢先の事故で、残念でならない。そして、敦君が線路の上を歩いていて、電車にはね飛ばされたと聞いたとき、世間の人たちはなぜ不思議だと思わないのだろうか。そういう子だから事故に遭ったとしても当たり前と皆が思ってしまうことの方が、私には不思議な気がする。それより何よりびっくりしたのは、葬儀の日に、通夜から告別式まで一切執り行って下さった町会長さん(葬儀委員長)が、最後の挨拶で、敦ちゃんは恵まれない幸せの薄い子供だったけれど、天国では、そういうこと無しに、きっと幸せになるでしょうという挨拶をした。何気無い、普通の世話好きの会長さんの思いではあるが敦ちゃんのお父さんの思いと何とかけ離れていることであろうか。事実に反しているのである。
 現在、研究所に通所している訪問学級のトーチ君の母親が、以前、トーチ君に刺身を少し食べさせたところ、のどにつかえて、救急車で運ばれ、ことなきを得たとき、何気無く私は、この子にもし万一のことがあったとき、警察から、おまえが殺したのではないかと疑われることが何より恐いと言っていた言葉をふと思い出した。
 敦ちゃんのご両親にしても、トーチ君のお母さんにしても、子供を深く愛し、ものすごく大事にしている。全く疑う余地のない、ごく当たり前のことであるのに、世の中の人は勘違いしやすい。
 どうも私は、世の中の常識というものに強い抵抗を感じる。常識ほど常識はずれなものはない。私は常識はずれなので、極めて常識的であると自分に言い聞かせて、これからの残り少ない人生をヤセガマンをしながら生きていきたいと思う。ともかく世間の人々は、親が聞いたら何と思うかというようなことを平気で言ったり、したりする。それが、一般の人々ばかりでなく、障害者とかかわりをもつ人々のなかにも大勢いる。そんな連中に、どちらが常識はずれか、何とか言い聞かせたい。
 三浦綾子氏が朝日新聞に、病は体の健康にとっては良くないが、それ以外はとても大切なものである。(彼女は病の連続、あるいは重複の状況らしいが)小説を書くのにも、人と付き合うのにも、自分と出会うためにも、病はとても大切なものである。と書いている。そして、近頃、自分はまだ本当の自分に出会っていないと思うようになり、自分が自分自身を知らないということですら知らないということが情けないと言っている。本当のことは何か。もちろんこれは最後までわからないだろう。しかし、少しでも、今より深く理解することは、容易なことではないが、できないことではない。そうすれば、障害の重い子供の言い分がかなりわかるし、その生き生きした輝かしい生き方に感動するし、世の中の常識が固着しており、みすぼらしい常識はずれなものであることに気づく。
 私は、水産大学の名誉教授の推薦を辞退した。尽力して下さった先生は遠慮していると思われたので、誤解を解くために苦労してやっとの思いで固辞した。
 我が国の社会が急速に老齢化し、豊かな福祉社会を作ることができそうもないことは嘆かわしい限りである。本当の福祉は、お金や健康の問題ではその根本が解決されないのは言うまでもない。
 NHKの朝のラジオは、毎朝5時に始まる。10分間のニュースのあと、“今日も元気で”という番組が続くのである。このあと、5時45分から10分間放送される“人生読本”という番組を、若い人がどのくらい聞いているのかと思って、いつか水大の授業で、人生読本を聞いている人の手を挙げさせたが、40〜50人の学生の誰もが聞いていなかった。だから、“今日も元気で”に至っては、多分、水大生の聴取率0ではあろうが、私も5時から10分ニュースを聞くと、ダイヤルをTBSに廻して、“エノさんのおはようさん”にしてしまう。“今日も元気で”は、70歳代ぐらいの人々の健康法を披露する投書の朗読から始まる。ベッドの中で独自にあみだした体操をしたり、起きて一杯のお茶を飲んだり、丸太を平均台に見立てて歩いたり、その人その人のいろいろな健康法が紹介されるのだが、毎朝聞いているとだんだん嫌になってしまう。たまには、不健康の話、いくら歳をとっても悩みは尽きないこと、かえって迷いに迷う人生の踏み込んだ話が聞きたくなってしまう。
 やっぱり私は、スケールが大きすぎるのかも知れないが、精神について学ぶこと、さらには、人生についてより深く考え、人類の未来について、より遠くまで思いをいたすことの大切さについて、これからも、人間行動について探求し、少しでもわかりたい。つまり、人間の心とは何か。金満日本国に住む人の本当の心を明らかにしたい。
 その意味で、今後、ますますヤセガマンして、私の常識を貫くことが、私にとってどんなに大切なことか、障害の重い子供から、より一層深く学ばなければならないと思っている今日この頃である。