平成5年6月19日岩魂第13号

                 感動をありがとう

 北海道の養護学校の先生が私に、TBSの「人間開発」を見ましたが、素晴らしかった、とくに、成子さんが「ア」の発声をした場面には感動しましたと言われた。当時、盲ろう教育に熱中し、現場にいあわせた私にとって、どうもあの映像は納得がいかないのである。そもそも、成子さんが「ア」の発声をしたのは、昭和30年9月16日の午後4時頃のことであり、小沢栄太郎(この映画の人間開発という題字は梅津先生がお書きになったものであり、全体の解説は、新劇の俳優だった故小沢栄太郎氏によるものであることはあまり知られていない。)が解説しているごとく、発声教育を始めてから40日目のことである。いつ発声教育を始めたのか、多分8月の初めに、夏の合宿を始めた日から数えて40日ということにしたのだろう。私どもは、「シゲコガ、アノクチヲシテ、イキヲダス」という点字の指示によって、右の手のひらを口に当てて、大きく口を開いて、はあと息を出したので、感動のうちに長かった夏の合宿を終了して、いったん東京へひきあげ、9月になってから、ふたたび甲府へ出かけて、あの素晴らしい成子さんの発声に出会ったのである。その時、録音機は回していたが、映画は撮っていなかった。したがって、TBSの「人間開発」の「ア」の発声の場面は実写ではなく、その後、秋に三木先生が盲学校を尋ねて、それまでの成子さんの発声の過程をたどって撮った映像の一部を抜き出して、椋尾さんたちが苦心してもっともらしく当てはめたものなのである。したがって、当時の現場とは全く違う映像なのである。9月の16日で、甲府は暑かったのに、成子さんはセーターを着ているなど、ふだんの学習している場面と違っている点が多い。当時の現場にいて、感動した者にとっては、なんともすっきりしない作り事の映像なのである。ただ、発声そのものは録音したものであって、嘘でもなければ作り事でもない。事実、成子さんのきれいな「ア」の発声のあとで、私たちの驚きの声がはっきりと録音されている。一声は、梅津先生のやや低いうめくようなウォーであり、もう一声は、私のやや高い、驚嘆したアオーなのである。志村さんの声が入っていないから、たぶん、その場面に志村さんはいなかったのではなかろうか。いたとしても、私たちのように感動しなかったのであろう。少なくとも、成子さんが発声した時に、口型紙を口に当ててはいなかったし、発声したあとで、志村さんが成子さんの頭を撫でたり、抱いたりはしなかった。先生の努力と忍耐によって成子さんが発声したので、その場面に感動したとしたら、それは、TBSによって作られた感動にすぎない。世間には、そういう作りものによる感動はうんざりするほどいっぱいある。事実は、成子さんの発声によって私たちが感動させられたのである。成子さんのあの一声のあとで、「それでは今日はこれで終わりにしましょう。」と梅津先生がおっしゃって、学習はすぐ終わり、成子さんはすっと立ち上がって、教室からすたすたと出て行ってしまったのである。私はその時の成子さんの廊下を歩く後ろ姿が、生き生きとして踊るようだったことを38年後の今日もなお、はっきりと覚えている。あの発声のあとの成子さんは、実にすかっとしていたことを成子さんの名誉のために書きとどめておきたい。めそめそしたのはむしろ私のほうだった。べつに、便所の中ではないと思うが、どこで泣いたか覚えてはいないけれども、涙がとめどもなく流れて、しばらくの間は決して止まることはなかった。部屋に戻ると、梅津先生が机に向かって書きものをされていた。ふと見ると、先生の目も赤く腫れ上がっていたので、思わず笑ってしまった。苦労して、やっと子供の素晴らしさがわかって、心から感動しても、その感動は決して後世に伝わらない。それぞれの胸の奥底にそっとしまいこまれてしまう。今後も、「人間開発」を見て感動する人は多いだろうけれども、どうも、先生が偉いとか、こういう教育方法が素晴らしいとか、変なことになる。盲ろう教育の日的、内容、方法は、これこれであるというもっともらしさだけが目立ってしまう。北海道の先生は、「アノクチヲシテ、ノドヲカタクシテ、イキヲダス」ということで、「ア」の発声ができたと思っている。しかし、そんな理屈どおりにはうまくいかない。この場合も、点字の指示によって成子さんは笑おうとした。無理に笑おうとしたから、その笑い声は、ややひきつっていたけれども、その中からあの声が出たのである。自然的な発声を成子さんが自分自身の自己統制系の中にぶち込んだものである。発声には笑いが最も重要であり、口型や声帯の緊張や呼気の統制などは、その自己統制系を組み立てる手がかりとしての役割にすぎないのである。私たちは、子供たちの素晴らしさが私たちの想像をはるかに超えていることに感動するのである。いくら社会から名誉や賞をいただいても、子供たちから本当の感動をいただくことができなければ、盲ろう教育の持つ本当の意味を理解したとは言えない。