昭和55年ごろ、菊池養護学校での生活単元学習に疑問を感じ、重度の知的障害の子供達との関わり方が分からないでいた私にとって、ピンク色の表紙の研究紀要との出会いは衝撃的でした。ある先生から「これを読んでごらん。」と貸してもらい、深く理解はできなかったものの一晩で読んでしまうくらい引きつけられました。その時、印象に残ったのは、『見えれど見えず』ということばでした。義務化でやっと入学できた裕美さんや丈二君の行動が理解できませんでした。おっとりとして音楽の好きな丈二君は、昇降口でよっこいしょと座り、右の靴をはき、もう一つの靴もまた右足に持っていき、すでに靴をはいた足を入れようとするのです。一つ一つの行動はできるのに、「なんでよく見てしないんだろう・・」と毎日、昇降口での丈二君の行動がどうしても理解できずにいました。「これだ!」と、目から鱗が落ちるということばを実感しました。丈二君は見ているようできちんと見ていないのかもしれないと気づきました。それ以来、<ピンクの本>は私にとって座右の書になりました。
子供の行動の見方、理解の仕方、教材の工夫等、どんな時にも手がかりを得ることができたような気がします。(寺本恵子先生「中島昭美先生のことば」より)
私が教員に採用されたのは、養護学校が義務化された翌年で養護学校に多くの教員が 必要となった時期であり、私も採用と同時に菊池養護学校に赴任した。実は、27歳で 大学を卒業した私には、就職の選択の余地があまりなかった。教員になったのは、就職 が比較的簡単であったという理由につきる。
ところが養護学校の教員になって2,3ヶ月がすぎた頃、学校へ行くのが嫌になって しまった。子どもとどう関わってよいか分からず、子どもの後を追っかけまわす毎日で 授業がおもしろくなかったからである。仕事を辞めようかと思い悩んでいる時、久里浜 に短期研修に行かれた先生の机上に置かれていた「人間行動の成り立ち」の冊子のコピ ーが目に止まり、パラパラと中をみて、子どもとの関わりの手がかりが得られそうだな と感じたのが出会いの始まりで、早速借りることにした。読み始めると、グイグイと引 き込まれるように一気に読んでしまった。20年が経っても、その時の感動を鮮明に記 憶している。もう一度この仕事をやり直そうかと強い衝撃を受けたのを覚えている。子 どもとの関わりには、こんな見方や考え方もあるものだ。自分が見て関わってきた数ヶ 月間は、とても底の浅いものであって、もっと深い世界がこの教育にあるのだと希望を 持った。この時、迷いも吹っ切れて教師を続けることにした。(幅孝行先生「中島先生と共に歩んだ私の障害児教育」より)
「人間行動の成りたち」との出会いから
2017年11月8日の実践
先日、外部指導員をしている学校で、小学部6年生のAさんと一緒に勉強しました。Aさんは生活全般において手厚い医療的ケアが必要であり、体温の低下を防ぐために全身を毛布に包まれている障害の重いお子さんです。
教室に入っていくとAさんは眠ったように過ごしていました。私はAさんにあいさつをして、口やまぶたの辺りを指で触れながら語りかけていきました。担任の先生の情報では、午前中Aさんは魔法使い役で文化祭の舞台発表に参加していたということでした。私はAさんに指で、或いは、振動スイッチやシリコンホースでも口の周りへ働きかけながら「文化祭の練習をして、魔法使いの役で、よくがんばったんだ」のような言葉をかけていきました。しばらくすると、Aさんは左上まぶたを微かにピクッと動かしてから、徐々に、その左上まぶたの動きをはっきりとした持続的な動きにしていきました。更には、力を全身にみなぎらせるようにしてから、最終的には口や両目のまぶたをしっかりと動かして私の働きかけに応えてくるようになりました。
私は口及びその周辺への働きかけを続けながらも、Aさんが学校にきて劇の練習に参加したことを「大変なことだな、すごいことだな」と思いながら語りかけていきました、それに対してAさんは文化祭の練習に参加できたことを誇らしげにまぶたや口や全身を使って応えているかのように私は感じました。周りで見守っていてくださっていた先生方、お母さん、皆さんが、Aさんの真剣に一生懸命に全身を使って自分の意志を伝えようとする姿を喜んでくれていました。
ヒトがその行動を支える基礎の感覚としての触覚
今、中島昭美先生の『人間行動の成りたち』を読んでいて、触覚と言葉のことを考えさせられています。「ヒトが初期の状態で、まだ視聴覚を十分に使いこなせないとき、その行動を支える基礎の感覚として触覚は重要であり、人間が外界に触れ、外界を構成する第一歩の感覚であるばかりでなく、その後ヒトが交信し、道具を使って日常生活を整え人間行動の基礎となる概念行動形成に大きな役割を果たし、更に、視聴覚をヒトとしての感覚として成立させる基本の感覚でもある。触覚的な体験を土台にしないで視聴覚が統制されることはありえない。また、触覚を統制する学習法の工夫さえ十分にされれば、視空間と同じようなよくコントロールされた触空間を構成することも決して不可能ではなく・・・・」(中島昭美『人間行動の成りたち』7ページ、初版1977年、財団法人重複障害教育研究所重複障害教育研究所)
この日の私はAさんの口及びその周辺に働きかけ、これら触覚的実感と共にその日午前中の活動であった文化祭の劇練習のことを言葉にして語りかけていきました。触覚的な実感とAさんにとっての意味あるだろう体験を言葉することが、共に絡み合いながらAさんに伝わっていったと思っています。中島先生の『人間行動の成りたち』から「ヒトがその行動を支える基礎の感覚としての触覚」と「概念や言葉の世界」について改めて考えさせられています。
おおよそ40年前
中島先生のお考えとの出会いは、現在の障害児基礎教育研究会代表である吉瀬正則先生から「読んでみないか」と『人間行動の成りたち』をコピーしてもらったことがきっかけでした。読んでみると当時の私には意味も分からず手をこまねいて観ているか、禁止するかしかできなかった、障害の重い子供たちの行動の意味を「外界への意図的な働きかけである、変化の確認である、弁別である、ヒトとしての感覚の出発である」と説明されていました。まさに「ヒトの行動として」捉えることができたと感じ、探し求めていた考え方にやっと巡り会うことができたと思いました。おおよそ40年ぐらい前の話です。その後、吉瀬正則先生から初代障害児基礎教育研究会代表の水口浚先生を紹介してもらい、教材を作り教材を介して障害の重い人達と関わり合うことを学んできました。そして現職を退いた今も何かある度に『人間行動の成りたち』まで遡って考えることで、その度に新たな気づきや発見をさせてもらっています。
東京都内
特別支援学校外部指導員 松村緑治